水木しげるさんの目玉おやじの原点はオディロン・ルドンの絵画にあった!?『ルドン ひらかれた夢』開催中!

こんにちは。

みっちで―――す♪

 

突然ですが、

眼=気球

この絵を見たら、ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじを思い出しませんか??

これは 『眼=気球』(1878年)という作品です。

 

他にもあるんですよ。

《Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた》『起源』

《Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた》『起源』(1883年)。

 

《Ⅱ. おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》『起源』

《Ⅱ. おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》『起源』(1883年)。

 

なんだか不気味ですよね。

オディロン・ルドンというフランスの画家の作品です。

1840年4月20日生まれで、19世紀後期から20世紀初期にかけて活動しました。

 

1840年というと、あの『睡蓮』で有名なクロード・モネが生まれた年でもあります。

睡蓮

『睡蓮』(1906年)。

モネのようにアトリエの外へ出て刻々と変わる光、またはその揺らめきや動きを捉えようとした画家たちを「印象派」と呼びます。

印象派(いんしょうは)または印象主義(いんしょうしゅぎ)は、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動(英語版)であり、当時のパリで活動していた画家たちのグループが起源である。
フランスの保守的な美術界からの激しい批判にさらされながらも、独立した展覧会を連続して開催することで、1870年代から1880年代には突出した存在になった。

印象派の絵画の特徴としては、小さく薄い場合であっても目に見える筆のストローク、戸外制作、空間と時間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動きの包摂、斬新な描画アングル、などがあげられる。

印象派は登場当初、この時代には王侯貴族に代わって芸術家たちのパトロン役になっていた国家(芸術アカデミー)にも評価されず、印象派展も人気がなく絵も売れなかったが、次第に金融家、百貨店主、銀行家、医者、歌手などに市場が広がり、さらにはアメリカ合衆国市場に販路が開けたことで大衆に受け入れられていった[2]。ビジュアルアートにおける印象派の発展によって、他の芸術分野でもこれを模倣する様式が生まれ、印象主義音楽や印象主義文学(英語版) として知られるようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/印象派/

印象派と呼ばれるようになったのは、この

印象 日の出

1872年にモネが発表した『印象 日の出』という絵画からです。

 

モネをはじめ、ルノワールやドガ、ゴッホ、セザンヌなどなど、現在ではすごく有名な画家たちが活躍している中で、オディロン・ルドンは彼らと正反対のような作風で、象徴主義と呼ばれます。

「光」に対して「闇」を描く画家とも言えますね。

 

その画風は、ルドンの生い立ちからも推測できます。

ルドンの家庭は裕福だったのに、生まれて2日後に田舎町に里子に出されてしまうんです。

病弱で内向的だったとも言われていますが、絵を描き始めます。

そして、39歳にして版画集『夢のなかで』でデビューし、同時代の文学者・批評家に高く評価されます。

 

不思議な花

これは1880年に描いた『不思議な花』という作品です。

 

自伝のなかでルドンは、自身の幻想世界は、家族から離れて暮らした孤独な少年時代に、夢や幻視から生み出したものであると語っています。

 

  • 『眼=気球』
  • 《Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた》『起源』
  • 《Ⅱ. おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》『起源』
  • 『不思議な花』

などを観れば、その孤独から人間の内面、または無意識、あるいは今生きている世界とは別の世界を描こうとしているように感じます。

ルドンは、本質的な色は黒だと言っていて、彼自身もモノクロームの世界に生きていたんじゃないでしょうか?

そして、よくモチーフにされている目玉というのは、ルドンにとっては、別世界や無意識への触媒なんじゃないかと思います。

 

こういう風に作品と作者の心情を繋げて語るというのは紋切り型で陳腐かもしれませんし、私自身もあまり好きではないんですけど、ルドンの場合は別ですね。

この後も読んでくださったら分かると思います。

 

ルドンは1880年に結婚します。

そして、初めてパステル画を描きます。

一部をご覧ください。

『セイント・ジョン』

『セイント・ジョン』(1892年)。

 

『花と女性』 1890-95年頃

『花と女性』(1890-95年頃)。

 

眼をとじて

『眼をとじて』(1900年)。

 

『花雲』

『花雲』(1903年)。

 

ペガサスにのるミューズ

『ペガサスにのるミューズ』(1907-10年)。

 

どう思いますか?

結婚して孤独から解き放たれたルドンは見事な色彩を獲得するんです!!

聖書や神話などを題材にして数々の絵を描きました。

 

もちろん、

『キュクロプス』

この『キュクロプス』(1914年)のようにルドンにとっては重要なモチーフである「目玉」を描くことは忘れませんでしたけど。

 

1889年、ルドンが49歳の時に初めての子供を授かったというのも大きく影響してるでしょう。

彼は画家として成功を収めることになります。

 

こんなにも自分の置かれている環境=境遇が如実に作品に現れるというのは、感動的ですらあります。

 

そして、彼は多くのアーティストに影響を与えています。

水木しげるさんも絶対に影響を受けたでしょう。

押見修造さんの『悪の華』や岩明均 さんの『寄生獣』という漫画や鴻池朋子さんやイケムラレイコさんという現代美術の作家にまで、ルドンの息吹は伝わっています。

 

そして、今、箱根のポーラ美術館で『ルドン ひらかれた夢』が開催されています。

孤高の画家と言われたルドンですが、近年研究が進み、大衆文化からもインスピレーションを得ていたという新たな側面を観ることが出来ます。

※葛飾北斎の『北斎漫画』にも影響されたようですよ!

そんなルドンの作品と、それに関係する作品(『寄生獣』の原画など)を公開しています。

箱根と言えば避暑地で都会の街中なんかより涼しいでしょうし、興味のある方にはおすすめです!

>>『オディロン・ルドン展』公式ホームページ

 

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