こんにちは。
みっちで―――す 😛
#奇想の系譜展 初日を迎えました✨
雪のちらつく中、開場前からお待ちくださる方も…ありがとうございます😂
会期51日間、今日からよろしくお願いします💕https://t.co/DzNCmLJdKx#東京都美術館 pic.twitter.com/zchO9FZH34— 【公式】奇想の系譜展@東京都美術館 (@kisou2019) 2019年2月9日
今日から東京美術館で『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』という美術展が始まりました。
かつては伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)や曽我蕭白(そがしょうはく)、長沢芦雪(ながさわろせつ)といった江戸時代絵画の絵師たちは美術史の中で長い間傍流とされてきました。
ですが、1970年に刊行された美術史家・辻惟雄(つじのぶお)氏による『奇想の系譜』という書籍に取り上げられたことによって今では主流の中の前衛という位置づけとなり人気があります。
『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』で展示されている8人の絵師と代表作を紹介します。
この記事の目次です
伊藤若冲(1716-1800)
京都の青物問屋の長男として生まれ、40歳で家督を弟に譲り画業に専念します。
40代前半から約10年をかけ完成させた「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅を相国寺に寄進しました。
写実と幻想を巧みに融合させ、濃密な色彩を使い精緻に描かれた花鳥画から、墨の濃淡を自在にあやつり、確かな画力を駆使して描かれた水墨画まで、個性的で多彩な作品を数多く遺しています。
【紫陽花双鶏図】江戸時代中期
2種類の群青を使いわけた紫陽花と、実際に飼い、観察し尽くした雄雌の鶏を描いています。
「動植綵絵」に類似する作がありますが、本作が先行します。
曽我蕭白(1730-1781)
京都の商家に生まれ、伊勢や播磨を放浪した後、40歳を過ぎて京都に定住。
18世紀京都画壇の鬼才たちの中でも、最も激烈な表現を指向しました。
20代後半には、室町時代の曽我派の直系にあたると自称して曽我姓を名乗りました。
漢画を学び中国の仙人や聖人といった伝統的な故事を多く描いていますが、その表現は独創的で狂気に満ち、時に見る者の神経を逆なでし、混沌の渦へと落とし入れてしまいます。
【群仙図屏風】1764年
六曲一双屏風にそれぞれ4人ずつ、合わせて8人の謎めいた仙人が配されています。
墨を基調とし、けばけばしい着色を施したサイケデリックな画面がすさまじい不協和音をつくり出しています。
この奇怪な作品との出会いが、辻惟雄氏が『奇想の系譜』を執筆するひとつの契機となりました。
長沢芦雪(1754-1799)
京都・篠山の下級武士の子として生まれ、円山応挙に師事。応挙が創った写生画法を忠実にたどる弟子がほとんどを占める中で、大胆な構図と才気あふれる奔放な筆法で独自の画境を切り開き、エンターテイナー的な遊び心ある個性的な作品を多数遺しています。
【白象黒牛図屏風】江戸時代中期
六曲一双の屏風からはみ出すほどの大きさで、右隻の白い象と、左隻の黒い牛が対照的に配置されています。
通称「黒白図」。
牛の背には二羽のカラスがとまり、牛の腹には白い仔犬が寄り添い、黒と白、大と小という対比の二重構造を趣向にした驚きに満ちた作品。
岩佐又兵衛(1578-1650)
戦国武将・荒木村重の子として生まれ、一族の滅亡後、母方姓「岩佐」を名乗り、京都で絵師として活動を始めます。
北庄(福井市)に移住し、20余年を過ごした後、寛永14年(1637)、三代将軍徳川家光の娘千代姫の婚礼調度制作を命じられ、江戸に移り住み、そこで波乱に満ちた生涯を終えました。
大和絵と漢画双方の高度な技術を完璧に修得し、どの流派にも属さない個性的な感覚に長け、後の絵師に大きな影響を与えることになりました。
【山中常盤物語絵巻 第四巻】江戸時代初期
源義経伝説のうち、母である常盤御前の仇討ちを題材とした極彩色絵巻。
全12巻のうち、山中の宿で常盤御前が賊に殺されるという、物語のクライマックスに当たる画面。
辻惟雄氏が修士論文のテーマに選んだ作品。
狩野山雪(1578-1650)
九州肥前国の生まれで、京狩野の狩野山楽に16歳の頃弟子入りし、その後婿養子となります。
妙心寺など京都の大寺院のための作画を多く遺しました。
伝統的な画題を独自の視点で再解釈し、垂直や水平、二等辺三角形を強調した理知的な幾何学構図で知られています。
日本で最初の本格的な画家伝である『本朝画史』は、山雪の草稿を元に息子の狩野永納が完成させました。
【寒山拾得図】江戸時代初期
その常人離れした風貌や言動から、文殊菩薩と普賢菩薩の化身と考えられた寒山と拾得。
巻子を両手で持つ寒山の意味ありげに笑う口元から顎にかけての気味悪い形は、山雪作品にしばしば現れる奇怪な岩と共通し、特殊な観念的フォルムに対する偏執を示しています。
白隠慧鶴(1685-1768)
臨済宗中興の祖と呼ばれる禅僧。
駿州原宿(現在の沼津市)に生まれ、15歳のときに出家。
「不立文字(言葉に頼るな)」といわれる禅宗において、白隠は夥しい数の禅画や墨跡を遺しています。
職業画家ではない、仏の教えを伝える手段として描かれた一見ユーモラスで軽妙、かつ大胆な書画は、蕭白、芦雪、若冲など18世紀京都画壇・奇想の画家たちの起爆剤となりました。
【半身達磨図】江戸時代
通称「朱達磨」。
画風から最晩年の作と推定されています。
80歳を超えて縦2メートル近くあるこんな大作を描き出す白隠の面目躍如。
下書きの線をそのまま残したり、何度も線を引き重ねるなど従来の筆法をくつがえす表現が斬新です。
鈴木其一(1685-1768)
尾形光琳に私淑した江戸琳派の祖、酒井抱一の忠実な弟子としてしばしば代作もつとめるほどでしたが、師の没後は個性的な作風に傾斜していきました。
自然の景物を人工的に再構成する画風は、抱一の瀟洒な描写とは一線を画し、その奇想ぶりが近年急速に再評価されつつあります。
【百鳥百獣図】1843年
其一の奇想を代表する作品。
細密きわまりない筆致で、さまざまな鳥と獣を描き出しています。
ありとあらゆる生き物を描き出そうとする構想は、若冲から感化された可能性が高いとされています。
歌川国芳(1797-1861)
江戸本銀町生れ。
文政末期「通俗水滸伝豪傑百八人之壷個」シリーズで人気を博します。
役者絵の国貞、風景画の広重と並び、武者絵の国芳として第一人者となりました。
戯画、美人画、洋風風景画にも発想の豊かな近代感覚を取り込む一方、役者絵や風刺画など、幕府の取り締まりをかいくぐり、機知に富んだ作品で庶民の支持を博しました。
【相馬の古内裏】1845~46年
御簾を破り闇の中からおどろおどろしく出現する骸骨。
山東京伝による読本『忠義伝』に取材した作品。
国芳は三枚続をそれまでの一枚刷りの組み合わせではなく、全体をワイド画面として意識し、思い切った独創的構図を展開しました。
『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』の口コミや投稿
細雪の降りやんだ上野に奇想の系譜展へ。細雪初日のお陰で、この豪華ラインナップとしては快適に鑑賞できた。蘆雪のへたり込みワンコのTシャツやポーチ等が目に付いたけど、「慈愛に満ちた黒雄牛にもたれ掛かってる」のがミソなので、牛込みのポストカードや栞も買ってね。黒牛の背中は色っぽいよ! pic.twitter.com/Aq6d3rUAAi
— 西条 (@Shiki_kokoro) 2019年2月9日
奇想の系譜展
クリムトが来ようがカラヴアッジヨが来ようが関係ないね。2019年ベストは間違いなくこれですよ!!!
5時近くいても飽きず、図録まで買ってしまった。後期展示もまた来ると思う。まだそれほどは混んでない。絶対早めに来た方がいい奴ですよ!!!#奇想の系譜展— s.u (@tabijikan_su) 2019年2月9日
東京都美術館の奇想の系譜展に来ました
奇抜で独創的な絵画たちに圧倒
そして犬かわいい… pic.twitter.com/efECBnVl91— 治兵衛 (@jihe_aoni) 2019年2月9日
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」を楽しむ。有名どころをいっぺんに観られてよかたー(*´꒳`*) #東京都美術館 pic.twitter.com/r5em0WXcni
— macoto ٩( ‘ω’ )و (@vvkjbs) 2019年2月9日
若冲や国芳だけでなく、有名どころを一度に観ることが出来るっていいですよね。
観たいなあ
東京っていいなあ。。。